いつも見る夢がある。
僕が不思議なのは、いつも行くバリと、そのモチベーションが似ていながら、
風景が全く異なることだ。何と照らし合わせても似ていない。
こういう「見たことのない風景」というのも記憶の一部なのだろうか?
空港。
見たことのないアジアの空港だ。よく行くバリの空港とは似ていない。
手荷物検査で引っかかる。何も怪しいものは持っていないのに。
空港の外。なんだかバスターミナルみたいなところだ。
どうやら敷地の外に海があるらしい。そこに向かって物を売るバン?が急いで走ってゆく。
タクシーを探す。
しかしまともそうなのは一台もない。
探しているとサテ(焼き鳥)を売る年配の女性に声をかけられる。
少年と、ホテルのプレートを掲げたおじさんがいる。しかし僕の泊まるホテルではない。
細長いバスターミナルみたいなところ。
このあたりはあまり覚えていない。
ホテルに着く。
坂をのぼり、市場を通り、妙に広いラウンジのあるホテルに着く。
ここが泊まるところなのかなんだか定かではない。
ラウンジの下に従業員?が寝泊まりしているような空間がある。
シャトルバスみたいなもので、全く違う棟に運ばれる。
そこは30何階とかでフロアの真ん中が吹き抜けになっている。
部屋は窓の全くない、無機質な部屋。僕は特に興味を示さない。
帰り。
僕は空港にゆく。帰りの便を待つ間、フリーマーケットのような野外の市場で時間をつぶすはめになる。
なぜ空港の周りにそんなものがあるのか不思議だ。けれど何も買うものがない。
飛行機に乗る。
機体は赤とグレー。なぜかすごく短時間に上昇しないといけないらしい。
それで失敗して落ちる便がある、という噂。
すごく短時間に急上昇する。下には川が見える。ビルも近い。
そして失速しそうになる。
そこでいつも目が覚める。
ようやく、というか、アルバムの曲数が出そろいました。
ひたすら作り続けだったので、「あー、やっぱしこれボツだな」みたいになるかもですが、全体的にイメージをすごく煮詰めたので、僕としては今、ガムランをやるとしたらこれ以上のものはできないという感じです。聴いてる方はたぶん、なんだ全部同じじゃん、みたいな感じに聞こえるでしょうけども。
僕としてはガムランをどこまで自分が描く風景に落とし込めるか、という実験でした。以前もそうだったけど、シンセとかエレクトロニックなビートに助けを求めず、ガムランという世界観でどこまでやれるかみたいな感じです。
別にストイックにならなくてもいいのですが、シンセってやはり安易にできてしまう局面があるので、僕自身はそれを封印したかったというのがあります。だってガムランみたいな特殊な音世界って、意外とエレクトロニックと相性がいいんですよ。気持ちいいビートの上でガムランが鳴ってればおしゃれな癒し系で成立しちゃう、みたいな。そういうのは絶対嫌だなと。
制作にあたっては以前書いたガムラン音源が活躍してくれましたが、特殊なチューニングでしかも1楽器だいたい1オクターブ、ガムランと太鼓以外の楽器なし、みたいな状況で作るのは本当に難しい。曲によってはシンセサイザーを使ってますが、特殊系のチューニングのものは平均律が全く適用できないので、いわゆる普通の楽器が使えません。特殊チューニング系の曲はさすがに3曲くらいが限度でした。
というわけで、今、すべての曲のアレンジと録音を最終まで煮詰める作業中。あと、タイトル付け。曲ごとに明確なイメージがあるので1曲ずつは容易いですが、肝心のアルバムタイトルが浮かばない^^

リンゴを置こうと思ったら梨しかなかった^^
いやはや、なんでアメリカのいちIT会社の会長が亡くなったくらいで動揺してしまうんだろう?
それくらいやっぱり影響されてたということでしょうね。
逝去にあたってはそれこそいろいろな人が立派なコメントを書いていて、大体ふむふむ、というところなのだけど、単刀直入に僕がJobs氏が偉大だと思うのは、僕らの年代にあっては「コンピュータをクリエイターの武器にしてくれた」ということにつきる。僕にとってはiPhoneでもiPodでもiPadでもない。
別にクリエイターがパソコンなんて使えなくても、と思うけど、例えば自分1人で下書きがきれいなポスターにできる、文字がデザインできる、ビデオがさくっと編集できる、自分のギターが録音できて、CDにできる、とか。。。そういうアウトプットの世界って、お金がなくて優秀な友だちもいなくて、さしたる手に職もなければITに頼らざるを得ないでしょう(つまり僕だ)。
簡単に言うとそういうことをとても助けてくれたんですね。もしJobsがいなくて、ビルゲイツしかいなかったらたぶん、クリエイターの半分くらいは道を挫折してるんじゃないだろうか。大体、クリエイターの仕事の大半は恐ろしく細かくて地味な作業なのだ。
だから僕にとってはアップルは「よいツール屋さん」。誰にでも使いやすいノコギリとかハサミを作ってくれる職人さんみたいな感じ? 上手く言えないけど。
なので僕としてはコンシューマ寄りのものよりも、何かを作ろうとしている人に対する、いいツールを作り続ける会社であって欲しいなと思います。多少高くてもデザインが悪くてもね。でもiPhone以降、なんとなく万人受けするコミュニケーションデバイスの旗手みたいになっちゃったのでそれがちょっとヤかな。
しかし僕らが受けた衝撃みたいなのを今、老若男女、一般の方がいろいろなライフシーンであまねく享受しているのだとすれば、それはやはり素晴らしいことだと思うし、それが違うところに発展して、例えば医療や福祉の現場の人たちの福音になるのなら、クリエイターなんて放っといてもいいと思う^^
しかし恐らくこれからのアップルはさらに家電屋っぽくなるような気がします。くれぐれもソニーの二の舞は見たくないな。クックさん、たのむで。
音楽制作用のスピーカーって実は普通にオーディオショップとかで売っているやつではなくて「モニタースピーカー」というのを使います。
どう違うのかというと周波数特性がフラットであること。つまり気持ちよく聞けるスピーカーではなく、素材となる音が「そのまま」聞こえるスピーカーでないとだめということです。低域・中域・高域の出方、そのバランス、楽器の定位、ノイズ、そういうものをチェックする目的があります。要は「あら探し」用。
いろいろ出回っているわけですが、オークションで安くなっていたのもあり、YAMAHA NS-10Mというのを手に入れました。日本でモニタースピーカーというとまず最初に名前が上がるのがこれだと思います。通称「テンモニ」。知っている人は「何をいまさら」という感じでしょうか^^
恐ろしく古いスピーカーで、発売自体は1977年、計30万台くらいは売れたスピーカーだそうで、2001年には製造を打ち切っています。ウーハー部分が紙なのですが、この紙の原料が条約改訂(?)で入手困難になったのが理由だとか。元々はモニタースピーカーじゃなかったと思うんですが、出音の特性からレコーディングスタジオに導入されたりしたんでしょうね。僕のはシリアル31万台なので最近のかもしれない。

さっそくセッティング。
アンプは使わなくなった1991年製のデノンのプリメイン。プリがいらないのは分かってるんですけど、とりあえず音が聞いてみたかったのでひとまずこれで。オーディオインターフェイスは恐らく今のMACOSだと認識しないだろうと思われるYAMAHAのGO46。けっこういい音するのでお気に入り。これにアンプを接続。キーボードもヤマハだし、そういう意味で意外と僕はヤマハ派なのか? 考えたことなかったけど。
とりあえず音出してみました。よく言われるように解像度高いです。定位がよくわかる。あと高域がきつくて低域が出ない。でも鳴らしてるうち中低域がよくなってきました。どこまでもフラットで色気がなく、優等生って感じ。
それまで使ってるヘッドフォン(CD-900ST)とのマッチングに苦労したんですけど、テンモニだとまんま同じ音が鳴る感じですね。ただ、低域はどのへんを信用したらいいのか未だに分かんないですが。

これがリファレンスに使った音源。ハービーハンコック「The Imagine Project」とスティングの「If on a winter’s night」。どちらも最近のお気に入り。録音もいいです。
さて、がんばって曲作り続けます。

ようやく退院して半年、くらいになります。
Twitterにも書いたけれど、退院後、自分が変わったとも感じるし、接する人も変わったような気がする。
厭世的というか、もう仕事含めて日々の細々したことは別にどうでもいいやって感じになりましたね。人間関係とかも。近づくものは近づいてくるし、離れて行くものは離れて行く。もうそれでいいかなって。
むしろ自分のコアですね。そこが一番重要で、以前よりも考えるようになった。そういう意味でいうといらないものがなくなった感じがして、好ましいのかもしれないけど。
あと、病気もそうだけど、3月の地震とか最近の自然災害とか、そういうのを考えると死ってすごく近いものだなって前よりも思います。死ぬときは死ぬよね、みたいな感覚は普通になってきたなあとか。
僕らくらいの世代ってなんだかんだあったとしても、若いときとそう変わらないんじゃないかとかそういう感覚があると思うんですけど、それは確実に変わっていて、自分も老いているし周りもそうだし、世界も変わっている。1年前にあったものが今なくなっている。1ヶ月前のものは形が変わっているかもしれない。そのスピード感って相当だな、みたいな感じも改めて思いますね。
ではアブソリュートなものはあるのか?って思うと、創作意欲だけはあるんです(あくまで意欲、だけね)。
無意識的に死守しようとしたのか、あるいはそう思わないとやっていけない何かがあるのか、それは分からないけど、なんとなく「残った」という感じですね、減算されて。
やっぱり拠り所がどこかにないと上手く生きていけない、それは誰しもそうだと思うし、僕の場合それが図らずも相対的なものではなかったというのが救いだったかもしれない。
だからこれ以上は何も求めないようにして、与えられたものをちゃんととこなそうと、まあそんな風に思う今日このごろです。
photo: 関西日仏学館
