日本の正月は普通の休日だった

久しぶりに正月を日本で過ごしてます。かれこれ10年ぶりくらいかな?

なぜかと言うといつも年末年始に行っているバリ島にあるアグン山が噴火したため。噴火そのものも怖いけど、火山灰もやばくて、もし空港の方まで飛んでくると空港が閉鎖されてしまい、完全に足止めになってしまう。もちろんフェリーと鉄道でジャワ島に渡って帰国する、という手もあるけど1日で済むはずがない。

日本に帰ってくるなんていつでもいいよ、なんて人は行ってしまってもいいと思うけど、残念ながら日本で仕事を持つ身としてがそういうわけにはいかない。リスクは取れない、ということですね。

どうも最近はあのあたりの火山活動が活発なようで、地球がそういう周期に入ったのかな?と思ったり。

てなことで日本の正月なのだが、昔感じていた違和感はあまり感じなかった。お正月って急に雰囲気が変わるでしょう。あれが子供の頃から好きじゃなかった。でもそれは昔の話なんだなあと。普通の休みになって良かったなあと。

昨年を振り返ると、ライフワークとしての作品づくりがなかったためか、どうもパッとしなかった。作品のアイデアが生まれなくて、悶々としてた感じ。やっぱり何か課題を背負ってないとダメみたいです^^

これについて書く、という確固たるものというか、何なんでしょうね。普通の人はもっと気軽にやるものなのかな。

なんてことを思いつつ、元旦にスタジオから見える空を眺めながら作った曲をお年賀代わりに置いときます。手グセで10分くらいで作ったものですが、よろしければ聞いてください。

みなさま、そんな訳で相変わらず地味ですが、今年もよろしくお願いします(お仕事よろしく〜)。

【考察】夏が好きな人は関東に多いのではないか?

好きな季節はなんですかと聞かれれば、僕は大体春、と答える。4月から5月にかけてあたり。「世界はまともだ」と思える季節だ(ってなんかへんな思い方だけど)。GWが終わって、6月くらいになると毎年寂しい気分になる。

しかし世の中には夏が大好きな方もおられる(もちろん冬が好きな人もいるだろうけど)。僕も冬に比べればそれほど嫌いな季節でもないけど、やっぱり春にはかなわないなと思う。

そして、ことに「夏の好きさ」というのは地域差があるような気がする。僕の住む京都はご存じのように夏は壊滅的に暑い。悲しく、切なく、やり場のない怒りに満ちた季節である。今日は祇園祭の後祭だが、行く気そのものがおきない。これが4月くらいなら喜んで行くのだけど、それでは祇園祭のコンセプトと合致しない。

京都の暑さはなぜこうも不愉快なのか。僕はこれは湿度が高いためだと思っていたのだが、意外と関東と比べても高くないらしい。やはり盆地であるがゆえに「空気が循環しない」ということなのだろうか? それとも別の不愉快にさせる要因があるのだろうか?

したがって京都人で「夏大好きやねん!」という人はあまりいないような気がする。少なくとも僕のまわりにはいない。町内のおじさんとかに会うと大体「今年もあつうなりましたな。たまりまへんな」と言われることがほとんで、いかにもうんざりしているように見える。

ところが関東にいる人で「夏はいいよねー」と言う人は割に多い気がする。少なくとも関東の方で夏が好きな方を何人か知っている。やはりこれはそれなりに過ごしやすいから、もしくは土地に根付いた何かがあるのではないだろうか。

だからではないだろうけど、「夏の歌」というのは大体関東のような気がする。山下達郎とかサザンオールスターズとか(あまり知らないけど)。彼らが京都に生まれていたらあのような曲は生まれなかったのではないかと推測する。薄暗くじめじめとした京都のライブハウスで「なーなつーのうーみから~」(山下達郎「Sparkle」)なんて歌われても違和感しかない(聞いてみたいけど)。

あくまで想像にすぎない訳だが、暑さを楽しめる、あるいはそれを表現できる場所がある、というのは実にいいなと思う。ジャックジョンソンだって、ハワイがなければあの気持ちいい曲は生まれなかっただろうし、ジョアンジルベルトがブラジルのバイーア州に生まれてなければボサノバなんて発生しなかったかもしれない。

ということで、やはり気候風土というのは音楽に大きな影響を与えるのではないか、というのが本稿の考察。まあ当たり前といえばそうだけど、京都ってつくづく(ポピュラー)音楽とかに向いてない気がする。ひとりで何かを作る、という意味合いにおいては向いてる気はするんだけどね。

ということで暑い屋根裏部屋で曲を書いてます。全然進みません^^

心を「開かせる」「開く」ことの難しさ/【映画】再会の街で

眠れなかった夜に何気なく見たのだけど、すごく良かったので感想を。

あらすじやパッケージの雰囲気から、いわゆるありがちなヒューマンドラマ、感動モノというやつだろうな、と思っていたのだけど、少し違った。

ドンチードル扮するアランは真面目一筋、家族思いのいい奴、医者でお金持ち。アダムサンドラー扮するチャーリーはアランの医学生時代からの友人だが、9.11で家族全員を失い、それを思い出すまいとひたすらゲームや音楽に現実逃避する孤独な男。

ニューヨークの街で偶然二人が出会うところから話が始まるのだけど、アランはあまりのチャーリーの変わりように対して何かできることはないかと手を差し伸べる(いい奴だから)。しかしチャーリーの心は想像できないほど損なわれており、全く会話がかみ合わない。ただ「友人」なので、お互い何となく距離を保ち合う。

アランはなんとか友を救おうと、チャーリーの言うまま夜中に一緒に遊んだり、あるいは知人の精神科医を紹介したりする。でもチャーリーは何かしてもらうたび「そうじゃない」と感じる。ますます孤独になり、ある日、泥酔して障害未遂のような事件で捕まってしまう。

チャーリーの奥さんの両親も同時に娘と孫を失ったわけで、チャーリーと悲しみや生き方を分かち合えるはずなのに、チャーリーは全くそこに見向きもせず、自分勝手に生きて事件まで起こす。アランはかばって間に入るのだが、両親はついに我慢できず、彼と(裁判で)争うことになってしまう。

奥さん遺族側の弁護士の「こういう精神障害者は長期間の拘留が必要だ」という意見や、両親のさらなる追求に対しついにチャーリーは激昂、初めて今までため込んだ思いや、どれだけ家族を愛していたかをその場でぶちまける。

裁判長(ドナルドサザーランド!)は彼の社会復帰の可能性を信じたのか、あるいはアラン含むまわりの人間を信じたのか、はたまたこういった患者に対する国の対応が気にくわないのか、結局彼を無罪とする。

そしてチャーリーは吹っ切れたように突然別のアパートに引っ越し、アランや彼の患者や精神科医と少しだけ心を許すようになり、少しだけ以前と違う生活を始める。

・・・みたいなストーリーなのだけど、これだけ読めば病んだチャーリーの「復活物語」みたいに見えるだろう。

しかし終盤になって分かってくるのだが、この作品は「心を開かせる」と同時に「心を開く」ということがいかに難しいかを描いているように思う。チャーリーの心の深い闇を開かせるのは並大抵ではなく、アランの持つ閉塞感や息苦しさの正体を開くのもまた難しい。だがチャーリーはアランからの優しさと愛によって、アランはチャーリーとの男の友情と愛によって、その可能性が少しずつ芽生える。

チャーリーはまだ「傷」というのが分かりやすい故に、とても難しいけれどそれが癒える方向を探ればよい。しかしアランは恵まれた生活だ。金持ちで、家族がおり、社会的地位もある。傍目にも自分でも何が「閉じている」のか分からない。だけどいつも息苦しい。それが何か分からない。でも劇中、彼の奥さんはなんとなくそれが分かっている。

アランは最後の方で奥さんに電話をかけ、許しを請う。奥さんは涙ぐんでそれを許す。そしてそれを教えてくれたのはチャーリーだ。ここが僕は一番ぐっときた。

チャーリーの損なわれたものを元に戻すのがものすごく難しいように、普通の人の自分が気づいていない闇に光を当てるのも難しい。そしてそれは結局「誰か」が必要だということだろう。

特に日本という国にこれを当てはめてみると、チャーリーやアランのような精神状況の人も割といるような気がするし、この映画以上に今の社会のままだと「開いていく」チャンスが少ないようにも思う。

当たり前のことだが、人の痛みに敏感になること、話をちゃんと聞くこと、与えること、耐えること。そうでないと結局自分自身が救われないのだよ、ということを突きつけている作品だと思った。

毎日をまじめに、でもルーティーンに生きている人こそ観ていただきたい。

再会の街で (字幕版)
Jack Binder, Michael Rotenberg

 
(その他思ったこと)
※9.11と絡めるのはあまりに失礼だという意見もあるようだが、観客に「失意の深さ」を感じさせるという意味では成功していると思う。
※アランの患者役の女性の立ち位置の描き方が微妙。
※リヴタイラーは久しぶりに観たけど、相変わらず綺麗。
※裁判長役のドナルドサザーランドの威圧感とぶった切り感は見事。キャスティングした人えらい。
※チャーリーの髪型やファッションがボブディランなのは意図したんだろうな、やっぱり・・・
※この映画とトーンもテーマも違うけど、得られる教訓が似ているという意味でデヴィッドフィンチャーの「ゲーム」を思い出した。
※邦題があまりにも普通。しかしチャーリーの家族愛の深さを示している「Reign Over Me」(愛の支配)という原題は確かに訳すの難しいだろうな・・・

ロック回帰の謎/Sting「57th&9th」ライブ

Stingの「57th&9th」ツアーの日本公演に行ってきた。公式サイトで調べるとソロになってからは実に20回目のツアーに当たるらしい。最近は日本に来ていないツアーも多いので久しぶりの公演となる。僕自身は2005年の「Sacred Love」が最後に見たライブだったと思うので、実に12年ぶり。

昨年、Peter Gabrielと一緒に回ったツアーはかなり見たかったのだが、これも残念ながら日本には来なかった。そういう意味では日本市場というのはこの人にとってどうでもいいものなのかもしれないし、あるいは欧米でのファンの熱量の方が圧倒的なのかもしれない。

僕が初めてStingのライブに行ったのは二十歳のころ、甲子園球場で、確か2枚目のアルバム「Nothing like the sun」のツアー。実に30年前である。

ということで当然ながらファンは確実に高齢化しており(笑)、見事に40代後半〜50代というところ。まあ、ポールマッカートニーもそうだったし、アーティストの年齢とファンの年齢は比例するのだなと。

今回のコンセプトは分かりやすく「ロック」である。なぜそうなったのか知る由もない。Marcury Fallingあたりからなんとなく迷走してた感じもあったので一度スッキリしたかったのかもしれない。2000年代中期にやっていた「Songs from the Labyrinth」などの古楽のカバーや、冬をテーマにした楽曲群などは個人的に好きなんだけど、広くは受け入れられなかったのだろう。

要は非常に頭の良い人であるので、なんでもできちゃうわけである。だからこその苦悩、というのがこの10数年くらいあったんじゃないかという気がする。ポップにもロックにもエスニックにもジャズにもクラシックにも器用に振っていける。ただ、ファンはどこかポリスの残り香を求めるし、同時に洗練されたアダルトコンテポラリーとしての一面も求める。作り手としては辛いところだ。そういう意味では「Ten Summoner’s Tales」が、僕はアーティストが作りたいものとファンが聞きたいものが高度にバランスした最後の作品のような気がする。

ファンとの間をつなげるキーワードがロックだとは思っていないけど、それがおそらく今のStingにとって現在の「共有」という部分での重要なコンセプトなのだろう。ただ、それはあくまで演奏装置としてのロックであり、(詳しく理解してないけど)詩の内容などはおよそロックからかけ離れた相当込み入ったもののはずだ。

Having a laugh at sound check, #Budokan. Thank you #Tokyo. See you in #Osaka tomorrow. #57thAnd9thWorldTour Photo by @mkcherryboom

Stingさん(@theofficialsting)がシェアした投稿 –

さて、こういう話をするとどこまでも長くなるのでライブレビューを。

僕が行ったのは日本公演4つのうち、6月10日のラストの大阪公演。このツアーは2月から始まって9月に終わるらしいので、日本はちょうど中盤くらい。メンバーはギターがもはやStingの片腕と化しているドミニクミラー、となぜかその息子さんのルーファスミラー、ドラムがジョシュフリース。あとバックコーラスにStingの息子さんのジョーサムナーと、前座のラストバンドレーロスという知らないバンド。

ということでソロになってからは初だと思うのだけど、キーボードがいないのが特徴である。コンセプトが「ロック」だから別にいいんだけど、Stingの場合、キーボードがないと再現が難しい曲が多いのでどうするんだろうな、というのが最大の懸念事項だったんだけど、見事に「勢い」で乗り切っていたw それ以上にヒットソングが多数なので、歌でどうにでもなる、というのはあるだろう。

ということでセットリスト全27曲のうち、9曲がポリス、あとはソロ時代のヒットソングと、ニューアルバムから少し、という感じで、ベストオブSting&Policeな内容。盛り上がらない訳がない。

ドラマーのジョシュフリースはそつなく、タイム感もジャストで良かったけど言い換えると存在感がなかった。ドミニクミラーはもうStingの奥さんですよ、と言わんばかりの抜群の安定感、息子のルーファスは何してたんだかよくわからないw Stingの弾くベースはとにかくミニマムなんだけど、ボトムの安定感がさらに増したような気がした。曲によって異常に低いベース音が鳴ってたけど、あれはペダル(シンセ)かな。

MCも最低限、Stingはあまり動かず、とにかく弾いて歌う。それだけ。原曲通りのメロディを完全に歌いきっていて、完全に「俺の歌を黙って聞け」みたいな感じ。そこが今回のライブの一番のポイントかもしれない。

ご存知の通り、Stingは非常に高いキーが多く、特にポリスなどは顕著なのだけど、全てちゃんと歌いきっていた。代表曲「Roxanne」は中でもかなり高いと思うのだけど、歌詞の途中の「So put away your make up〜」の「up」の部分ってとてもきつくて、たいていのライブはここをごまかして歌うんだけど、ちゃんと原曲通り。これには感心した。

ということで、ロックにフォーカスしたなりの、彼なりの覚悟というか、そういう気概が素晴らしいライブだった。声や体力のコントロールってすごく大変だと思うけど、それが徹底されてる感じ。コンセプトの表現、という意味では大成功と言えると思うし、たいていのお客さんは大満足の出来だったのではないかと思う。やっぱりヒットソングが持つ同調力ってすごいなと。

ただ、本人もファンも、いい意味でも悪い意味でも歳である。ロックに歳なんて関係ないぜベイベー、みたいな人もいるかもしれないが、彼はローリングストーンズでもジミヘンドリックスでもレッドホットチリペッパーズでもない。ロックミュージシャンはグラモフォンからCDを出したりはしない。ロックなんてものに縛られずに表現してほしいな、と思ったのが正直なところ。

ただなんとなく、バンドによる表現というものにとても愛着を持ってるんだろうなとも思った。それが本人の幸せなら、それはそれでいいのだけど。

ひとまずツアーの成功を祈りつつ、次作を待とう。

久々にギターで曲を書く

自身の新しい曲をどうやって作るか、というのはけっこう悩んでいて、昨年くらいからいろいろトライしているところです。

何度も書いてるけど、今までは何らかのビジュアルに「音を付ける」という作り方で、「ビジュアル」先行というか(聴く人は分からないと思うけど)、そんな作り方だったのだけど、簡単に言えばその「絵」が今の僕にはない、ということです。

どちらかというと「場所」をイメージすることが多くて、それがバリだったり京都だったりしたわけだけど、そういう具体的な場所が今はないし、これは困ったなと。

これは作り方を変えなくちゃいけないんじゃないかと思っていろいろ試したけどなかなか上手くいかない。でもハタとそうか、キーボードから離れた方がいいのかも、と思ってアコースティックギターを手にとってみた。久しぶりに弾くので指がすぐ痛くなったけど。

いくつか思いつくままにフレーズを録音してみて、ピアノとかチェロとか(キーボードだけど)と重ねてみると少し違う世界が見えた気がした。

以下はそれで形になった曲。まあなんてことない曲ですが、作っていて面白かったのでアップしておきます。

勉強になったのは、やはりギターで発想すると開放弦とかが混じるので響きが変わるということ。開放弦のコード(専門用語でいうと「オープンコード」)というのはなんというかアーシーというか、土着的な感じもするし、そういう響きを重ねていくともう少し引いた風景のようなものが見えるような気がする。

少しそういう感覚を音にしていこうかなと思っています。

(ちなみにテクニカルな部分の覚え書き)
生録音の環境はギターがLarriveeのOM、マイクがオーディオテクニカのAT2035、これをMOTUのAudio Expressというプリアンプ経由でDAWへ。エフェクトはコンプとEQとリヴァーブ。コンデンサマイクというのを初めて使いましたが、なかなかいい音。でもあまりに音を拾うので近所の車の音とか猫の鳴き声が入ったりして。
あとはサンプルインストゥルメント。ピアノはNIのGrandeur、チェロはAria Soundsのソロ弦、パーカッションはLogicのEXS、逆回転みたいに聞こえる音はOutputのREV。

ストーリーなきストーリー/【本】騎士団長殺し

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編ちょうどGW中にのんびりと田舎で読んでいたこともあって、久々に集中して読めた。なんだかよく分からない世界に引きずり込む独特の文体や各種小道具、比喩のちりばめ方はさすがだと言わざるを得ない。もはや伝統芸の感すらある。

村上氏は小説を書くときは何も考えずにとにかく書き始めるんだそうである。つまり企画とかストーリーとか、登場人物の設定とか、そういうプリプロダクションみたいなのをやらないらしい。「書かれている物語にまかせる」みたいな(いかにも言いそうだ)ことを言っていた気が。これはもうなんと言っていいか、氏の持ち味みたいなものなので別にいいのだけど、これが生きるのはやはり短編までじゃないかという気がする。

長編というのはやはり「話」としての揺るぎない骨みたいなのが必要だと思う。アップダウン、起承転結、そして収束に向けての加速感と、読後のカタルシス、みたいなもの。もっとシンプルに言えば余計な飾りを取り去って、この話はこう始まって、こうなって、こういう風に終わります、というフレーム。それが最初に意図されているかどうかで随分違うのではないだろうか。読者を長時間(それこそ何日も)拘束するわけだから。

すべての長編がそれを有している必要はないと思うけど、少なくとも村上氏の粘りのある文体や構成力があれば可能なはずだし、今回は特に「そういう話」なのではないだろうか?

ところが書き始めと同じようなインスピレーション重視の感覚で書いている(と思われる)感じが続くため、立ち上がった話が収束していかない。要は先を想定して作られていないので、肉付けしてきた物語を先に進められないわけだ。だからなんとなく例のメタファーや小道具、周辺描写に終始せざるを得ない。「いやいや、細かい描写はいいからさ、さっきの話はどうなったんだよ」と思うところが散見される。風呂敷を広げたはいいが、そのたたみ方が想定されていないわけである。

第1巻は既読感はあるが、主人公が絵描きという設定、創作のあり方、みたいなのが表現されていて僕自身は楽しく読めたのだけど、第2巻になってもそれほど物語が進んでいかない。だんだん嫌な予感がしてくる。やたらと長いメンシキさん家での食事シーン、雨田父の病院の地下(?)の描写やメンシキさん家でのまりえの逃亡劇などは思わず斜め読みしてしまった。なぜこんな冗長なシーンを描こうとするのか。それは先ほどの話、終わりが見えていないからに過ぎない。書きながらどうしよっかなーと考えているからそうなるんだと思う。

結局メンシキさんは何者だったのか、まりえの失踪の理由は何なのか、なぜ奥さんは復縁したのか、そもそも「穴」は何だったのか、すべてが謎のまま(というかほったらかしにされて)物語は終わる。それこそがメタファーだと言いたいのかもしれないが、解釈を読者に任せるにしては描写がそれぞれ細かすぎるし、執拗すぎる。

これらは結局ストーリーの骨がないために起こるのではないだろうか。けっこう風変わりな人物や世界を登場させる作家なだけに、それをどう収束させるのかが腕の見せ所ではあるまいか。また、登場人物の性格がきちんと設定されていないためか、登場人物みんなが同じ性格のように感じられる。他人との会話がそんなスムーズに運ぶはずがないでしょ? このあたりもどうも物語を平坦にしてしまっている要因ではないだろうか。

昔から読んでいるので確かに読めるんだけど、いきなり小説を書き始める、というスタイルでの物語のバリエーションはさすがに枯渇しているのではないか、という気がした。本著のレビューで「村上春樹リミックス」という揶揄もあったようだけど、書き方が同じならそうならざるを得ないだろう。誰だってそうなる。

それが村上春樹だよ、と言われるとそれまでなのだが、長編執筆時には他の仕事を断ってまで毎日書いているらしいので、きちんと設計された「お話」を書いて欲しい、というのが僕の切なる願いである。細かい描写やメタファーや、音楽やウイスキーがなくとも読後「なるほど、さすがに読ませるなあ」と思える話を。

 

アメリカ版方丈記/【映画】Into the Wild

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

ショーン・ペンという人は「マドンナと結婚していたやんちゃな俳優」というイメージだったのですが、近年、渋くなりましたよね。出演作で見たのは「デッドマンウォーキング」とか「ミスティックリバー」とか「ミルク」とか、どれもよかった。監督作を見たのは初めてですが、なんとも言えない「残る」作品です。クリント・イーストウッドの作品に近いというか「まんじりともしない」感じが似ている。

ジョン・クラカワーという人の「荒野へ」という原作の映画化で、簡単に言うと、お金持ちで頭のいい、大学を卒業したばかりのアメリカの青年がなぜか急に家族の元を離れ、ひたすら北に向かい、最後アラスカで餓死する、という話。

時代がちょうど90年代初頭、そしてこの主人公、クリス・マッカンドレスが僕と同い年ということもあって、なんとなく親近感を持って見ました。まあハード目なロードムービーかと。
でもちょっと違いました。ロードムービーにありがちな、現地の人との交流とかそういうのはたくさん出てくるんだけど、主人公が全くそこに関心を示していない。ひたすらニコニコと「アラスカに行く」としか言わない。戻ってくるのか戻ってこないのかも分からない、でもはっきりした殉教心があるわけでもなさそう。でも確固たる信念はありそう、みたいな感じ。

これがこの原作なり映画の最大の論点だと思うのですが、どういう思いでアラスカに分け入ったのか。やたらと現地の動植物に詳しい割に、いつ川が増水するかも知らない、その割には地図を作ろうとしてるけど、装備は無頓着。ワイルドとか言う割にはバスの中で暮らしてる。暮らしたいのか死にたいのか良く分からんわけです。

おそらく、そういう二者択一的な意識はなくて、とりあえず人のいない荒野でひとりで暮らしてみることで「何が得られるか」を知りたかった、という本当にそれだけなんじゃないかという気がします。
両親が不仲であり、トルストイやソローの本を愛読する文学青年でもあったわけで、それこそ20代の青年の青年にありがちな無垢な自分探しとでも言うべきか。

あるいは世代的にそうだったのかな。90年代前半にはネオヒッピーイズムみたいなのがあったとも言うし、そういうムーブメントに影響されてないとも言えないでしょう。今の時代ではない、ある種の軽さ。今の時代の学生ならまずこんなことしないんじゃないかな。

というわけでいわゆる放浪モノとか冒険モノとか殉教モノとか、そういう従来的なカテゴリーに収まりにくい作品。あえていうなら「スローライフ孤独モノ」とでも言うべきか。あるいはアメリカ版「方丈記」か^^(これはちょっと違うな)
ハッピーエンドでもないし、そんなにバッドエンドでもないし、年代にもよるだろうけどまあなんとなくある種の教訓を得られるという意味合いにおいては面白いんじゃないかと思いました。

僕が共感するのは、クリス君の考えていたことが、結局彼しか分からなかった、ということかもしれない。

抽象化の行き先/【本】音楽は自由にする

音楽は自由にする

まだ最新作は聴いてませんが、評判はよろしいようで。以下、以前に書いたレビューの再録です。

これは生まれたときから現在までのいろいろなお話。まあいろいろな裏話が入っているので、ファンであれば買いだと思います。戦メリをやって、ベルトリッチの出会いからオスカーを取った時あたりの話がなかなか面白いです。

坂本龍一という人はどの時代においても一定の「はまらなさ」があると思います。ジャンルが特定できない音楽性。ふつう、そういう人は目立たないもんだけど^^ やっぱりサントラとかオリンピックとかのせいなんですかね。でも僕はやはりそのちょっと異端な感覚が好きな所以だったりします。たぶん、今こういう人が出てきても今の時代にあっては恐らく埋没してしまうでしょう。

僕が気になったのは以下。

「たとえば今、レバノンで戦争をしていますが、あるレバノン人の青年が空爆で愛する妹を失ってしまう。その青年が悲痛な思いを音楽にする。でもそれは彼が音楽にしている時点でどうしても音楽の世界のことになってしまって妹の死そのものからは遠ざかってしまう」

「ただその一方で妹の死は青年の記憶がなくなることで歴史の闇に葬られてしまう。でも歌になることで民族や世代の共有物として残って行く可能性がある」

「表現は他者が理解できる形、共有できる形でしか成立しない。だから抽象化が必要。個人的な体験や喜びは抜け落ちて行かざるを得ない。そこにはどうにもならない欠損感がある。でもそういう限界と引き換えにまったく別の国、世界の人が一緒に同じように理解できる通路ができる」

その通りだと思う。いやはや、80年代の教授からは全く想像できない発言ですが^^
別に政治的なことじゃなくても、僕は芸術というのはそういうものだと思っています。抽象化させることと、モチーフを自分に取り込んで徹底的に洗練させること。「そんなものはリアルじゃない」「自意識過剰だ」とか言われたとしても、僕は逆に「じゃあリアルなものが、素のものが何かこの先に大切な、理解できるコミュニケーションを生んだのか?」と問いたいです。

違う次元で自分の生活にコミットしてくる重要性というか。美を自分の世界に取り込んでいる、というのはリアルに生きれば生きるほど強いと思うのです。上手く言えないけど。




ブログリニューアル

春ということで、意味もなくブログリニューアルです。

今まで音楽配信と一緒にしてたんですけど、一緒にするとそれぞれぼやけるというか、実際、川本さんのサイトからどうやって音楽聴くんですか? みたいな質問もあったので、分けようかなと。ただ、ブログって言っても全然書いてないし、だからどうなんだってのもありますけど。

音楽の方はわかりやすいポートフォリオサイトを作ろうと奮闘してますが、全然できてません^^ どういうのがいいんでしょうねえ。よくわからない。何となくペラサイトで、がーっとスクロールして終わり、みたいなのでいいのかなーとは思ってますが。

そんなことで。

近況報告になりますが、僕の方は昨年度がかなりヘビーだったのが少し身軽になった感じです。全然浮かばなかった曲のアイデアも浮かんできたし、少し良い兆候かなと。あとはまあいろいろ。時の流れが豪雨の時の濁流のように早くなっているのだけ、すごく認識しますが。

そんなことでひとまず挨拶でした。次はもう少し役立つ情報を書きます^^ 

ではみなさんよいGWを。

カワモト

Happy New Year

あけましておめでとうございます。2017年って何だか信じられないですけど、2017年なんだよな。うーん。

久々にバリに来てます。2年ぶりかな。ウブドというところですが、ずいぶん変わってしまって、のどかさが消えてしまいました。もっと北や南に行けば違うんだろうけど。。。
SNSでも書いてますが、そういう元々あった魅力、というのとツーリストにとっての快適さ、をバランスさせて共存できる期間って本当に一瞬なんだな、と思いました。賛否あると思いますが、僕にとっては90年代後半から2000年代前半くらいじゃないでしょうか。まだWIFIも飛んでなかったけど、とても静かで、平和でした。僕のバリについての一連の曲もこのあたりの思い出から来ていると思います。

昨年はアルバムがリリースできたのは良かった。長年、作らないと、と思っていたのでそういう意味ですごくすっきりしたんですが、けっこうミックスとマスタリングが難産で、あれだけ最後悩み抜いたのは初めてかも。本当、そういうとこだけ誰かに頼みたい。自主制作の悲哀ですw

それが夏頃でしたけど、秋頃からあまり調子が上がらなくなり、曲を作るモチベーションも消えて悶々としてました。これはひとつベーシックに立ち返らねばと和声の勉強したりしてたんですけど、これがまたつまらない^^ でもなぜそっちにコードが動くのかとかそういうことはけっこう腑に落ちましたが。
それと長らく弾いてなかったギターを弾いて、こっちもスケールを改めて勉強したりしてたんですけど、これもまたつまらない^^ ドミナント7thではオルタードスケールが使える、とか知ってもだから何なんだよっていう。ジャズの理論は非常に高度だと思いますが、それが音楽としていいかどうかは別問題ですよね。ジャズが好きなら良かったんですけど、残念ながら未だそっちは馴染めず。

かといって今までと同じことをしても同じものしかできない、ということは分かっているのでそこが難しいところです。David Sylvianがかつての麗しいボーカルミュージックを捨てて今、詩の朗読とかしてるのはなんか分かる気がしますな。

てなことで自分の創作、というところで今年はどんなものをやろうか、というのは全然見えずで。ただ商業音楽(効果音だとかBGMだとか)は引き合いがあるので、ありがたい限りではあります。

では悶々としつつですが、各位におかれましては今年も何卒よろしくお願いシマス。

※トップの写真は僕が好きなウブドのレストラン「ミロズ」にて。ここはかつてのウブドの匂いがきちんとする。だいぶん寂れましたが・・・

カワモト
 
 
 

ものすごく地味なウィーン旅行記

久々のヨーロッパ、オーストリア(ウィーン)に行ってきた。
2014年にスペイン(バルセロナ)に行っているので、久々というわけでもないのだけど、久々という感じがしたのは夏にも関わらず肌寒かったからだと思う。

僕が最初に行った海外はフランス。確か24歳くらいだった。当時、近代〜現代美術にかぶれていたので、パリの美術館をひたすらハシゴした。その時は冬で空はどんより曇っていた。その後、イギリスやイタリア、そしてまたフランスと、何度か行ったけれど、夏に行ったとしても大体寒くて曇っていた。「寒くて曇っている」。これが僕のヨーロッパへの、偏見に満ちた印象である。

一昨年に行ったスペインは珍しく晴れて暑かったので、この印象にカウントされていない。すごく不思議なのだけど、僕としてはあまりヨーロッパという感じがしなかった。あらためて最初に受けた印象というのは本当にすごいなと思う。

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ウィーンというとなんとなく金ぴかで、モーツァルトで、食べ物がフライで、甘いものが多そうで、という印象しかなかったけど、それは大体合っていた。

要はもともとハプスブルク家という、とんでもなく長い歴史を持つ一族の帝都であり、20世紀初頭の帝政崩壊後も特に侵略もされず、チェコのように社会主義に飲まれることもなく、永世中立国としてそのまままったりと今に至る街なので、王政時代の名残がそこかしこにある、というだけのことである。

政治的な衝突や軋轢、芸術的な反動といったものは少なからずあったのかもしれないが、オルタナティブとか、ヒップとか、あるいはニューエイジだとか、そういう感覚から遠い街であることは確かだ。

ヨーロッパの歴史に疎く、観光も甘いものも苦手なので、僕の興味は必然的にアートだとか音楽に限られてしまうのでこの後の話はその類となる。

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ちなみにその話をする前に、食べ物についての印象を書いておくと、これもやはり想像していたとおり、海産物と野菜がほとんどない。要は肉。とにかくハムやソーセージの種類が多く、あとはチーズ、パン。

最近、野菜中心の食生活に変わってきたので、これはけっこうしんどかった。オリーブオイルをかけたタコとか新鮮な葉野菜なんかが無性に食べたかったが、残念ながら皆無に近い(もちろんきちんと探せばあると思うけど)。

そして知らなかったが白ワインがとてもおいしい。地元ならではの品種、そしてリースリングやシャルドネなど、とても種類が多く、どれも甘くなくすっきりとしていて好みの味だった。日本で今ひとつ知られていないのはオーストリアワインのほとんどが国内消費向けに作られているからだそうだ。実にもったいないなあと思う。

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ということで、ここから僕の好みの話。

ウィーンの芸術というと、大体想起されるのがグスタフクリムト、エコンシーレ。なんとなく知ってる、という程度だけど、僕らがよく知っている印象派などのムーブメントより少し後。とはいえモダンという感じでもないので、美術史的にはちょっとマイナーかもしれない。

表現主義とも言われるらしいが、それもなんとなくピンとこない。美術史的にまとめなくちゃいけないのでそういう風になった、というだけで、取り立てて独自のムーブメントがあった、という風に僕は感じなかった。

クリムトというと大体あの金ぱくのちょっとエロティックな感じの絵がイメージされると思うが、ああいうのはほんの一部で、元々のプロフィールは作家と言うより装飾家、なおかつ古典主義の教育をきちんと受けた人なので、日本でのイメージと少し違う。

美術館や劇場などの装飾の仕事が多かったらしく、依頼主も行政や大学などがメインだったようなので普通に「建築に携わる職人」というイメージだったのかもしれない。ただ、風景画もたくさん描いていたようで、独特の線と構図で不思議な印象を与える。僕はこれらがとても気に入った。

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エゴンシーレは奇妙な線の人物画で有名だが、クリムトと比べるとアーティストという感じで、他のいろいろな作家の影響を受けているように感じられた。上手いというよりはセンスのある絵で、若くて夭逝したことから、天才と言われているらしい。彼も風景画を残しており、クリムトと同じく面白い構図やタッチなのが印象的だった。

なお、クリムトの作品はウィーンのいろいろな場所で見ることができるが、センスがよく、現代的な展示の「レオポルドミュージアム」をお奨めしたい。人も少なく、じっくり鑑賞できる。

美術館ではもうひとつ印象的だったのは美術史美術館。
歴代ハプスブルク家の君主が買い集めたコレクションが所狭しと並ぶ美術館で、そういう意味で美術館というよりは家の収蔵品を特別にお見せします、という感じ。なので美術館としてのテーマ性というよりも、その時々の君主の趣味が左右されるので、必然的にジャンルに偏りがある。

想像されるようにやたらとお金持ちの方々の肖像画があるのだけれど(本当に辟易するくらいある)、特筆すべきは意外にもブリューゲルの絵がけっこうあることだ。

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僕はブリューゲルがけっこう好きで、昔、ブリュッセルの王立美術館で見たことがあったが、ここにはかなりの著名な作品が置いてある。バベルの塔を始め、農村の暮らしを描いた一連の作品、そして僕が好きな雪中の狩人などもあり、かなり見応えがあった。

なぜ君主がブリューゲルなどに興味を持ったのかよく分からないが、恐らく諸外国の庶民の暮らしの資料としてではなかったんじゃないだろうかと思ったりした。

ちなみに日本人の好きなフェルメールの作品も一点、すごく普通に(無造作に)置いてある。ブリューゲルもそうだけど、どちらかというとハプスブルク家の人たちはこの手の絵はあまり興味がないように見える。

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そして音楽。これについては音楽の都と言われるだけあって、ウィーンと関わりのある音楽家はとても多い。恐らく僕たちの知っている音楽家のほとんどが少なからずウィーンと関係している。なかでも著名なのはやはりモーツァルトだろうか。ウィーンのいたるところに彼の自画像があり、土産店ではそれをパッケージに使ったお菓子が売られている。

ただ、モーツァルトはザルツブルクの出身で、ウィーンに引っ越したのは25歳、その後35歳で亡くなっているのでウィーンでの活動はたった10年。なので「ウィーンの音楽家」というと少し違うかもしれない。

せっかくなのでモーツァルトを聴きに行った。とは言ってもきちんとしたコンサートではなく、観光用のバージョン。「ウィーンモーツァルトオーケストラ」という楽団らしく、当時の貴族のファッションで代表曲をちょこっとだけ演奏してくれる。

とはいえオーケストラのコンサートをきちんと聴いたことがあまりないので、なかなか楽しめた。トルコ行進曲なんてとても優雅な曲だと思っていたけど非常にドライブする楽曲だなあとか、魔笛の有名なソプラノの旋律はかなりめちゃくちゃなメロディラインだなあとか。そしてなぜかこっそりシュトラウスの楽曲を混ぜるあたりが商売上手だなあとか。

でも僕はあまりモーツァルトは好みではない。
元々宮廷からの依頼曲をこなしていた人だから、どうしてもそういう人たちが好みそうな曲になっているし、長調が多く、装飾的な音が僕には過剰に感じられる。そんな評価軸はいらないと思うが、「ミニマル」という視点からはほど遠い。

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同じウィーンの作家としてはシューベルトが好みで、学生時代からシンプルな歌曲をよく聴いていた。メロディが情緒的で親しみやすかったのもあったかもしれない。「白鳥の歌」の中からの「セレナード」などは当時、ロックバンドしか出演していなかったステージで無理矢理演奏したこともある。

ウィーンに生家があると言うことで出かけてみた。
集合住宅のような建物で、18世紀当時は16家族が住んでおり、その中の一室がシューベルトの生家である。たかだか十数畳程度の一室で、そこに家族全員で住んでいたらしい。先生だったお父さんが教育熱心だったらしく、音楽の才能を伸ばしたとのことである。

生家はつましい博物館となっており、愛用のメガネやピアノ、家族の肖像画などが飾られている。決して裕福な生活ではなかったと思うが、なんとなく暖かく、ほっこりした気分になれる。とても不思議な空間だった。

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ということで、もちろん行ったところは他にもたくさんあるのだけど、この辺で。

当たり前だけどこの歳で改めて美術、音楽という両面できちんとヨーロッパに触れ合えたのはとても良かったと思う。昔なら文化における知識のone of themと感じるところなんだろうけれど、今はひとつひとつが染み渡る感じがする。

そういうことが歳を取って良かったことのひとつなのかな、と思ったりした。いいのか悪いのか、僕にはよく分からないけれど。
 
 

「聴かなくても良くなった音楽」について

前回書いた音楽が聴かれない、というのが我々のエンターテイメントの選択肢が広がりすぎたため、という説を少し考えてみる。(前回の記事はこちら
(※例によって写真は本文とあまり関係ありません。最近適当にiPhoneで撮ったやつです)

分かりやすいのは自分の部屋(もしくはパーソナルスペース)をイメージすることだろう。

80年代、あなた個人の部屋はどんな感じだっただろうか(生まれてない人すいません)。
そこにあるものはベッド、机、洋服ダンス、あとはラジカセくらいだろうか? テレビは個人で持つには高価だったし、電話もたぶんない。そこでの娯楽といえば、本を読むか、ラジカセでラジオやテープを聴くくらい。個人の部屋で外から入ってくる情報はラジオか、雑誌くらいだろう。

90年代になると少しだけ変わる。恐らく部屋には電話が付いたんじゃないだろうか? あと、テレビもひょっとしたらあったかもしれない。ゲーム機もあったかもしれない。今とそれほど変わらないという気もするが、決定的に欠けているのが通信、ネットだ。
この頃の機器はすべてシングルタスクである。電話は喋るしかできない。ラジカセは聴くしかできない。ゲームはプレイすることしかできない。そして何よりそれらは持ち出すことができない。部屋と外の世界はまだ分断されている。

00年代でようやく今に近づく。まずはこの頃から携帯電話の普及率が人口の半数以上になる。携帯電話にカメラが付く。ネットが常時接続になる。ここで変化が起きる。まずは内から外への接続、そして他人の可視化だ。部屋にいても外のことが分かるようになり、赤の他人が何を考えているのかが分かるようになる。

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おそらくみんなは思ったんじゃないだろうか?
「みんな僕と同じように生きているし、そんなにエライ人ばかりでもくだらない人ばかりでもない。そしてみんなはだれかと繋がりを求めている」。

つまり誰かが作った作品をだまってひとりで鑑賞するより、身近にあるもの、みんなが理解できるものを他人と共有する方が楽しい、と。

そして00年代終わりからSNSが普及し、10年代に入ってスマートフォンが登場することでさらなる変化が訪れる。つまり、部屋(パーソナルスペース)が物理的な部屋である必要がなくなってしまった。スマートフォンは上に書いた「かつて部屋にあったもの」をひとつにし、外に持ち出せるようにしたデバイスなのだ。

電話ができる、ニュースも読める、ビデオも見れる、本や雑誌も読める、ゲームもできる。もちろん音楽も聴ける。電話という直接的な手法を使わなくても、SNSやチャットで、非常にソフトに他人と繋がることができる。特にこの「ふんわりとした繋がりの楽しさ、というエンターテイメントが存在する」というのは80年代からは予想もしなかったことだろう。

音楽は決してなくなったわけではない。このコンテンツの多様化と肥大によって「埋もれている」だけだ。

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これが現代の音楽の姿である。聴かれなくなったのではなく「聴かなくてもよくなった」。まさしくそうは思わないだろうか。

この状況下で自分なりに音楽が重要である、という価値観を持つためには、他人ではなくて、自分が必要と思える理由を持たなくてはならない。流行っているから、チャートインしているから、という他人の評価軸はもはや無意味である。

ひょっとしたら、その音楽を取り巻くカルチャーみたいなのが重要かもしれないし、歴史や地理的な背景を知ることが必要かもしれない。あるいはもっと単純に朝に飲むコーヒーをおいしくしたいとか、本を読むための効率的なBGMとか、エクササイズのモチベーションアップに必要だとか、そんなのかもしれない。

音楽はおそらく、あまねく人々が共有すべきコンテンツではなくなってしまった。自分から取りに行かなくては得られないもの。そういう意味でハードルがさらに高くなったような気もするが、これは本来の姿であるような気もする。そう、多分「読書」みたいなのと同じだ。

しかしそれさえ見つかれば、自分にとってかけがえのないパートナーになってくれると、僕は思うのだけど。